「埼玉県春日部市にいる、野原しんのすけ」
日本に活気があった1990年、バブル景気を象徴する作品です。
しんちゃんの父親である野原ひろしは、よくいるサラリーマンの1人!?
バブル崩壊の直後までの平凡
「野原ひろしは貧乏で、うだつの上がらないサラリーマン」
当時のモデルケースを知っても、今では驚くばかり!
ペットの犬と子供たちがいるマイホーム
小さくても自由にできる庭があり、そこでペットの犬を飼う。
妻の野原みさえは、専業主婦。
マイホームには子供部屋と夫婦の寝室、1階のリビングで家族団らん。
それらを養えるだけの、中間管理職としての社会的な身分と経済力……。
これらが、バブル直後までの常識でした!
『クレヨンしんちゃん』は、野原ひろしの物語。
5歳の幼稚園児では、思い切った行動ができません。
しかしながら、2024年において「年収600万は高給取り」に!?
「新卒で入った会社に、定年退職までしがみつく」
疑う者はおらず、江戸時代のような滅私奉公。
レールを外れた者はアンタッチャブルとされ、糊口をしのぐだけの日雇いへ。
勤続10年で自動的に係長へ昇進した
バブル直後まで、係長へ自動昇進。
2003年に放送されたドラマ『特命係長 只野仁』は、まさにそれ!
「冴えない係長が密命によって荒事をする」というストーリーでした。
『クレヨンしんちゃん』の野原ひろしも、それと同じです。
仕事ができるわけではありません。
課長からは実績とコネが物を言うため、定年前で課長になれるかどうか。
ひろしは、上を目指せない立場だが、家族のために頑張っている。
「中の下」といった感じ。
前述したようにドロップアウトした人も多く、それと比べれば上です。
1990年は、大きな転機でした。
どんどん出世していく『課長島耕作』も、1983~1992年の連載。
1990年へタイムスリップしてみよう!
「お? ポケベルか……」
呟いた人間はポケットに手をつっこみ、クレジットカードのような物体を取り出した。
小さな画面を見たあとで、近くの公衆電話を探す。
ポケットベルは、唯一の通信機器。
ここから10年でガラケーが普及して、2010年にはスマホへ!
1990年、世界初のWEBサーバー「CERN httpd」が誕生。
1995年にWindows95の登場と、インターネットの普及。
情報化へ突き進む中で、かつての常識が通用しない状態が続きます。
『課長島耕作』では、カセットテープによる録音と、車載電話がせいぜい。
長期連載の『金田一少年の事件簿』の電脳山荘殺人事件は、ネットの前身であるパソコン通信。
完全犯罪を扱っており、「パソコンオタクは軽自動車ぐらいの初期投資と複雑な設定をする危ない連中」という偏見に満ちた扱い。
出世するエリートですら、「パソコン? 電卓があれば、事足りるだろ!」という有様。
スマホとサーバーが一般的になったのは、ごく最近です。
野原ひろしは転職の夢を見るか?
「親世代との同居は、お断り!」
夫婦と子供だけの核家族となった野原家は、新たな試練に直面します。
もはや崩れ去った定年退職という目標
昭和の戦後は、「正社員として定年まで働き、退職金と年金によるセカンドライフ」がゴール!
『クレヨンしんちゃん』の野原家も、それを目指しています。
ところが、終身雇用と年功序列が失われ、フィクションの野原家だけ安泰に!?
1986年に施行された派遣法は、バブル崩壊の平成不況に後押しされ、改正による拡大。
特に、2004年の製造業への解禁が大きく、正規と非正規の差は固定されたのです。
このギャップは、2023年に劇場公開の『しん次元!クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦~とべとべ手巻き寿司~』に現れています。
エリートになった野原家は、非正規で搾取され続けた非理谷充とどう向き合うのか?
社会へのメッセージはあるものの、「恵まれている野原家が言うな!」の一言に尽きます。
「がんばれ!」じゃないんだよ、支援してから喋れと……。
双葉商事で働く「ひろし」の日常
野原ひろしも、他人事ではありません。
中堅の商社をクビになれば、非正規として現場作業をするだけ。
住宅ローンを抱えている自宅は売りに出し、安い賃貸か団地へ。
作中では、部下の面倒を見つつも、上司の叱責やリストラを恐れる描写がありました。
けれど、ネットとサーバーで事足りる時代には、誰かがクビにされる。
日本ではモノが売れないから、中国か東南アジアに飛ばされそう。
「販路を開拓するまで、帰ってくるな!」と言われて……。
Googleの検索結果によって、大企業の株価すら動きます。
世界的な無料サービスで首を絞められている中、「いい人」では生き延びられません。
野原家は、非理谷充に説教している場合じゃない。
みさえもフルタイムで働く時代になった
最も弾劾されるべきは、野原みさえ。
自分で稼ぐ必要がない専業主婦で、戸建ての生活。
おまけに、夫の両親もおらず!
女にとっての理想ですね?
現代で年収600万オーバーを「安月給!」となじったら、大炎上しますが……。
バブル時代は年収1,000万がボーダーラインで、それ以下は負け組でした。
出世街道にのった男を狙うのが、当たり前。
みさえは感情的で、しんのすけと「ひまわり」への対応が違い、自分には甘い、等身大の女性。
『クレヨンしんちゃん』で時間が流れたら、彼女も働くしかありません。
「物欲のためにパートをする」という遊びではなく、生活のために。
先に消滅した昭和のサザエさん
1969年から放送された『サザエさん』は、国民的なアニメ。
磯野家とフグ田家による二世帯住宅で、平和な日常が続きます。
平屋で隣とつながる和室だけの一軒家
昭和によく見られた、二階がない戸建て。
外周にある縁側を歩き、その端にトイレがある間取りです。
うすい襖で仕切っている和室は、それらを取り払うことで大きな部屋に。
子供部屋は、1室だけ。
ブラウン管のTVとちゃぶ台がある、お茶の間などの和室が続く。
浴室も一体化しており、比較的新しい住宅です。
『のんのんびより』の古民家では、浴室は敷地内の別棟でした。
火を扱う場所は、昔から外に面した場所。
これは換気のためであり、火災による被害を防ぐためでも……。
浴室を別で作るのは、湿気で傷みやすいから。
母屋は何世代にもわたって住み続ける一方で、そちらは定期的に建て替えます。
「年長者に絶対服従」という光景
『サザエさん』は、年長者に絶対服従!
『クレヨンしんちゃん』と対比になっており、「みさえだったら1年もたない」と思えます。
襖に防音効果はなく、本当にプライバシーがありません。
日本は、戦中と戦後で大きく変わりました。
2024年に「親が認めなければ、絶対に結婚できなかった」と言っても、信じられないでしょう?
それどころか、比喩ではなく、口答えすら許されず!
1953年の『東京物語』では、上京した両親と自立した子供のギャップが描かれました。
「遠く離れた両親よりも、今の家庭」となり、家族がバラバラになっていく現実。
国民的なアニメとなった『サザエさん』は、二世帯が同居しつつも、お互いを尊重し合う。
当時に「あったらいいな!」と願っていた理想郷。
団塊の世代が中学を卒業した1963年ぐらいは、次男から集団就職で上京する光景が見られました。
「家を継がない人間は進学させない」で、中卒が普通にいた社会。
誰も共感できない時代劇になった生活
戦後でボロボロになった日本は、「何でも必要」とされる状況。
そこから復興した姿を描いた『サザエさん』こそ、当時の人々が安らげた場所……。
けれど、廊下の黒電話を使っていた『サザエさん』は、時代劇になりました。
もう、二世帯住宅はありません。
現存するのは、「出入りする玄関ドアから別にある」という、完全セパレートです。
売るにしても買い手がおらず、扱いに困るだけ。
社会がSFのようになった後でも、『サザエさん』はブラウン管のTV。
メインスポンサーの東芝が降りたことが、大きな節目に。
1989年から連載した『はじめの一歩』でも、普通に黒電話がありますけどね?
シンちゃんもスマホを持つ時代
キッズ携帯は、逆に面倒臭い。
「保証書の再発行はアプリのみ」という時代では、スマホを持たない理由がない!?
やらかして炎上しそうな恐怖
SNSは、世界に繋がっています。
2013年、海外のエリートである女性が「政治的に不適切な発言」を呟きました。
それは人種差別だと見なされ、世界的なトレンド1位からの破滅へ……。
差別はいけないこと。
しかしながら、文字だけで発信するSNSというのは、どうしても当たりが強い。
相手の顔は見えず、まったく知らない他人ですから。
社会風刺のギャグアニメである『サウスパーク』であれば放送局へのクレームに留まることが、連鎖的に膨れ上がります。
日本でも、バイトテロと呼ばれる事件が多発。
その防止策は、「バイト先で写真を撮らせないこと」に他なりません。
まだ幼児である野原しんのすけも、スマホを持つでしょう。
みさえの性格では、「いちいち面倒だから、自分でやって!」と制限をかけない可能性が高い。
となれば、尻丸出しを自撮りして、世界デビューに!?
幼児が携帯電話を持たない時代の空気
『クレヨンしんちゃん』が連載された当初は、昭和の空気が残っていました。
自己責任で、「やらかしたら、自分でケツを拭け!」という感じ。
幼児もスマホを持つ時代がくるとは、夢にも思いません。
今では、絶対に炎上します。
叩かれるのは、しんちゃんではなく、その母親である「みさえ」。
さすがに、5歳児を袋叩きするのは異常ですし。
初期のガラケーは、白黒の小さな液晶画面だけ。
文字だけのメールに、シンプルな着信音。
けれど、2020年を過ぎたころに大半のガラケーはなくなり、高齢者向けがあるのみ。
1986年からの『ファイブスター物語』にある、「通話してベータベースにもなり、ゲームも」という、騎士だけが使える万能端末。
これは、スマホですよね?
リアルタイムでFSSに興奮していた世代は、巨大ロボットのモーターヘッド(現、ゴティックメード)はないが、その端末だけ入手することに。
今月のデータ通信量の残りは?
誰もが気にする、スマホのデータ通信量。
フリーWi-Fiは限られており、セキュリティの心配もあります。
現代のしんちゃんは、「オラの残り通信量、ほとんどないぞ……」と困り顔に。
底辺校だろうが、日雇いだろうが、スマホなしでは生活できず。
ゆえに、今月のデータ通信量は、誰もが必死に理解。
次点で気になるのは、バッテリーの減り。
氷河期世代までの常識、「いつかは野原ひろしのように……」は、もう昔話に!
お金をかけるのは、毎月のデータ通信量とスマホの買い替え。
新型スマホに10万円を出しても、据え置きのゲーム機には出さず。
そういう時代になりました。
『クレヨンしんちゃん』は、第二の『サザエさん』。
労働者が使い捨ての社会で育った世代には、野原ひろしは等身大でなければ、憧れでもない。
ただの上流階級で、むしろ憎悪の対象。
過ぎ去りし栄光は二度と戻らず、平等に手にするのはスマホだけ。
他人に押し付けられた常識と人生
マスコミが仕掛けて、それに従うだけの人生。
野原ひろしと同じ世代は、「難関大を目指し、新卒で大企業に入り定年まで」が常識でした。
住宅ローンに縛られるだけの30年
今でこそ、「30年も利息を払う住宅ローンは……」という風潮ですが。
ゆとり世代までは、誰もがマイホームを持ち、ローン返済のために生きていました。
それが通用する環境で、給料とポジションは定年まで右肩上がり!
日本は不動産神話が強く、自分の城と領地を持ってこそ!
一所懸命は、「たった1つの領地を死守する」の現れ。
農村で田分けをしないのも、増えない田畑を分けたら数世代で崩壊することが主な理由。
前述した集団就職は、江戸で上京者が身を寄せ合ったことの再現。
ですが、自分の働きで出世して、家長になれる社会でもありました。
『サザエさん』から『クレヨンしんちゃん』へ移り変わり、生まれつきの立場でマウントをとってくる年長者がいない住宅。
持ち家は、賃貸と異なり、他人の顔色をうかがわずに済む。
老後にも夫婦で暮らし、成長した子供が親となり、孫を連れてくる。
それが、戦後の昭和モデル。
マスコミと世間によって疑問すら封殺
『クレヨンしんちゃん』の全盛期だったバブル直後まで、昭和モデルが通用しました。
けれど、自分が選んだ家族による生活も、古い価値観によるもの。
進学と就職で地元を捨てた若者は、新卒で入った会社を地域共同体へ。
自分が所属している企業、あるいは部署の上下関係をファミリーとしたのです。
マイホームを買ったら地方への出向は、もはや常識……。
CMが欲しいマスコミは、資本力のある大企業を賛美。
「人生とはこうあるべき!」「これが格好いい!」と定義された人生をマネキン買いです。
野原ひろしは、理想的なサラリーマン♪
逆に言えば、それについていけないか、反逆した人は、例外なく潰されました。
世間は「いない人」と見なし、マスコミも扱いません。
『賭博破戒録カイジ』の坂崎孝太郎は、大手ゼネコンの現場監督から警備員にドロップアウト。
離婚されて、六畳半でその日暮らしに。
彼が大きなミスをしたのではなく、不況による人員整理で。
この転落は、『クレヨンしんちゃん』のひろしにとっても他人事ではありません。
終身雇用と年功序列はどこにもない
前述した派遣とネットの普及は、残酷なまでの淘汰へ!
野原ひろしが係長であるのは、恵まれた時代に就職したから。
転職すれば、一番下として罵声を浴びせられる現場でも、我慢するだけ。
終身雇用と年功序列は、どこにもありません。
一部にまだ残っていますが、腐敗したガスで膨らみ、今にも破裂せんばかり!?
それですら、非正規への置き換えとアウトソーシングが進んでいます。
今の時代に野原ひろしを描いたら、もう正社員にできず。
加えて、スマホやサーバーを使わない職場は、誰も納得しません。
新卒で入った会社に尽くして、ひたすらに耐える、野原ひろし。
けれど、政府が「自分で年金を用意して」と嘯き、会社が労働者を捨てる時代では、あまりに滑稽です。
バブル期に労働者を囲ったのは、どんな無能にもやらせる作業があったから。
高速ネットとサーバーで片付くのなら、切り捨てるほうへ進んで当たり前!